Home



人は如何にしてRiverdancerとなるのか(2)

Tokikoさん情報

その1

その2


UTFC(英語)

intro

backstage

in Tokyo


Harukaちゃん写真集

その1

その2




さて、大学を飛び出し、パフォーミングアーツの世界に入った(戻った?)登紀子さんは・・・。

1998年 3月 リバーダンスのオーディション合格。

ここでRiverdanceのダンサーのオーディション事情について書いておきましょうか。

・募集期間
常時募集。合格者はリストに登録され、カンパニーに欠員が出ると補充される。

・条件
17歳以上であること。ただしリストに載ってから出演までに時間があるので、17歳直前の人でも受けられる。

・事前に提出する物
ダンス教師の名前・競技会での成績・舞台経験などをまとめたCV(curriculum vitae...要は履歴書) と競技会出場時のビデオ。

・プレゼンテーション
試験官は各カンパニーのダンスキャプテンレベルの人。

まずライト(ソフト)シューズ、ハードシューズで1曲ずつ計2曲。これを2回くり返す。1回目でだいたいの印象をつかみ、2回目でリラックスした状態での実力を見る。

続いて競技会スタイルではない、ショーのスタイルで2曲。

(ショーのスタイル:Lagan CompanyのRosemary Schadeさんは、Irish Dancing Magazineのインタビューで、ダンスそれ自体の違いは、「ステップはより低い、床に近い位置で行われ、ジャンプが少ない」ことだとおっしゃっています)

そして最後に、グループで一斉に踊らせる。

・選考基準
Colin Dunne先生曰く、「ショウのレベルはコンペに比べ高くはない。大事なのはプロ意識(体調が良くないときでも能力を100パーセント発揮しなくてはならない、など)」だとか。


1998年 5月 フライング・スクォッドとしてミュンヘン、その後アムステルダムへ


Flying squadについても桝田さんに教えていただきました。
(略)プロモーションの為にその都度編成されるグループで、フライング・スクァッドと呼ばれています。

カンパニーに入ると、ツアーの間、当然ながらそれが仕事ですから、拘束されるのですが、会社勤め、あるいは学校に通っており、どうしても長期間休めない、でも踊りたい人達が、交代で飛ぶようです。

オーディションに合格すると、どれを希望するか聞かれるそうです。
1998年 8月 リフィー・カンパニにジョイン。8月11日スタート。


カンパニーへの合流の仕方はさまざま。しっかり準備してから参加する場合もあれば、いきなり1曲だけ舞台に出て、次第に曲数を増やして行く場合も。

カンパニーには約35人のメンバーが所属するが、1回の舞台に出演するのは28人程度。各ダンサーは週8ステージのうち7ステージに出て、順番に休みを取るわけです。

ツアーの間はみんな同じホテル住まい。滞在期間によってアパートを借りることもあるとか。

1998年 9月 ニューヨークのラジオシティー・ミュージックホールで公演中のリー・カンパニーに1週間送られてくる。初めて、家族に自分のいるリバーダンスの舞台を見せる。


カンパニー間の人材の貸し借りというようなこともあって、前述のRosemaryさんの場合は、LaganからLeeに1週間というようなことがあったそうです。

(98.11.1追記)
桝田さんによると、なんでもこのとき、RosemaryさんとTokikoさんは共演していたとか。
文中の、ローズメリーさんは、登紀子も(私共も)よく知っています。因みに、ニューヨークの公演の際は、同じ日に踊っていました。又、観客の中に、彼女のお母さんもきておられ、聞くところによると、もう何度も見に来ているとか、やはり、親ですね。


なんとこの世界のせまいこと・・・。
1999年 3月 ついに日本へ。





Tokikoさんの年表については桝田浩憲さんの作成されたものを元にmoriyが一部加筆しました。

【参考】

Irish Dancing Magazine 1998.1-2合併号 6-8ページ
Colin Dunneのインタビュー


同誌 1998.7-8合併号 18-19ページ
Rosemary Schadeのインタビュー



Irish Stepsトップへ




[Home]
[Irish Steps] [Tokyo Swing] [Beyond]

激励・礼賛・ホメ殺しのメールはこちら
air@myself.com