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ビデオ鑑賞ガイド
"Riverdance a journey"(2)


Riverdance a journey

その1

その2


 

内容の概要(つづき)


36'45

Live for Peace(London ColiseumでのVE Dayのイベント)。チャールズ皇太子と面会するプリンシパル2人。


38'40

会場について検討する制作スタッフ。

場所の候補は3つ。Royal Albert HallとWembley StadiumとApollo。West Endの劇場では十分な大きさの場所がなく、また大きすぎてもチケットが売れないかも知れないし、民族問題を考えたらその懸念はなおさら大きくなる・・・ということで結局はApollo。



ロンドン公演ではメンバーも一部変更されました。

「Lift the Wing」のAine Ui Cheallaighさんが抜けAnunaのメンバーのデュエットになり、スパニッシュギターのRafael RiqueniさんがDes Mooreさんに、フィドルのMaire BreathnachさんがEileen Iversさんに代わりました。

そして6月6日の公演初日。結果は大喝采。5回ものスタンディングオベイションがあったそうです。




44'20

売れたことの影響。

Michael FlatleyとJean Butlerの間の緊張がしきりに噂されました。どうもJeanさんがメディアにもてはやされたのがMichael様の気に入らなかったみたいですね。

Sunday Timesほかによると、はじめMichael様とJeanさまは同じ扱いだったのが、そのうち「Michael Flatley with Jean Butler」という形になり、いっぽうMaria Pages姉さんは格上げされ、Jeanさまと同格に。95年夏の時点で彼のギャラは週50.000ポンド。ジーンさまはその半分以下。

お金がらみの話は尽きず、Anunaも自分たちのグループをアルバムで使うなら20,000ポンド、という条件を提示し、結果「Riverdance」のアルバムではAnunaではなくSeoltaというグループがコーラスを担当しました。

とは言いつつも95年7月にダブリンで再演。6週間の興業は完売。演目的には、「American Wake」が加わりました。さらにロンドンでの再演が決定。

ここで制作サイドは抜本的な変更を決定しました。

とくに2幕には大幅な変更が加わり、ほぼビデオの「The New Show」の形になりました。リストアップすると・・・

  • David Hayesが音楽監督兼舞台助監督になり、Tapチームの3人とゴスペルのJames Bignonのアンサンブルがアメリカに帰った。

  • John McColgan発案の「Trading Taps」にはTarik WinstonとNick Holmesが参加し、Colin Dunneとそのステップを競うことになった。

  • Bill Whlanの「Shivna」が加わった。

  • アメリカに贈られたアフリカの王女に捧げられた「Shelter Me」が作曲された。(ごめんなさい詳細わかりません)

  • Moscow Fork Ballet Companyの「The Russian Dervish」と、マウスミュージック(リルティング)を取り入れた「Oscail an Doras」が加わった。



マイケルさまはこれも気に入らなかったようで、ロンドン公演を前にして契約交渉でゴネ通し、要求はエスカレートする一方。FAXで送られた「24箇条の要求」には・・・

  • 「自分の許可なしに舞台内容を変えないように」

  • 「ポスターでは、『スター・振付』と目立つように表示される場合のみ名前を出すように」

  • 「プログラムでは2ページ欲しい(プリンシパルとMaria Pagesまでは各1ページ割り当てられています)。契約・広告・メディアに名前が出るときには、プリンシパルではなくスターと表現すること」(なんてにしきのチックな・・・)

  • 「自分はユニークなパフォーマーであるので・・・何を着るか、いつ踊るか、誰と踊るかといったクリエイティブコントロールを認めるように」

  • 「カーテンコールで同僚パフォーマーがお辞儀をする際は、自分一人が前に出る」(そんなにJeanさまがキラいなんか!)

・・・といった項目が並んでいたとか。要求が実現することより、クビになることを望んでる感じさえします。




44'40

9月29日、胸あきの服で朝のテレビ番組に出るMichaelさん。問題は金ではなく、クリエイティブコントロールだと力説する。自分の代わりなんていないよ・・・とかなんとか。

47'40

10月3日(開演の日!)の夕方の番組ではネクタイ姿になってます。

この後、クビになったマイケルさまはElton Johnさんのマネージメント、John Reid氏と組んで「Lord of the Dance」を作ることになります。このReidさんともトラブルがあって、最近ようやく決着がついたとIrish Dance Magazineには書いてありましたが・・・天才の自我の強さはなかなか始末に負えないようで。

結局、開演の日付になってColin Dunneさんに主役交代することが決定。さらにJeanさまが開演直前になってふくらはぎの筋肉を痛め、Eileen Martinさんが代役となりました。(Sam Smithさんの本ではAreleen Ni Bhaoillさんとなってますが、ビデオに映ってるのはEileenさんですし、オフィシャルのパンフレットでのEileenさんの紹介文にもそう書いてあります。なんでだろ?)



51'10

楽屋風景。ブレンダンさんやアイリーンさんがちょこっと映ったり。白の衣装のアイリーンさん、まばたきが綺麗です。踊っているアイリーンさんがしっかり見られるのは貴重ですよー。

危機に際してダンサーもオーケストラも逆に気合いが入り、1幕を終えたところで早くもスタンディング・オベイションがかかった。

その後1995年10月3日初演-1998/2/10までに120公演をこなし(Smith本では151公演。どっち!?)、次はアメリカ・ニューヨークへ。

58'00

そしてニューヨークへむけて。バスの中からRadio Cityの看板を見て歓声を上げるメンバー。
「美女と野獣」「オペラ座の怪人」とならぶ「Riverdance」!



1:04'00

ここにきて床に問題。お馬さんのスリッパで踊られる「Reel around the Sun」の画は可笑しい。

ラジオシティの床は硬すぎ、ハードシューズで踊ると脚に負担がかかるのでダンサーには非常な問題でした。対策として新しい床材が用意され、リハーサルルームにはさながら野戦病院のようにベッドが並べられ、理学療法士と医者が待機することになったそうです。



1:10'10

そして開演。「the New Show」のビデオとは違うシーンが見られます。

ニューヨークでの演目は、ロンドンとの違いはほとんどなく、「Shelter Me」がIvan Thomasの歌う「Heal Their Hearts」に変わったくらいだそうです。

そして、大成功めでたしめでたし、と。

時期 出来事
1993.9 Doherty、Eurovisionのプロダクションを承諾
1993.12 Bill Whelanの「Riverdance」原案できる
1994.4.30 Eurovision Contestのアトラクションとして上演
1995.2.9 ダブリン・ポイントで初演
1995.6.6 ロンドン・アポロ公演
1995.7 ダブリンで再演
1995.10.3 ロンドン再演
マイケル・フラットリー離脱
1996.3.17 ニューヨーク・ラジオシティ公演



参考

・「Riverdance the Story」Sam Smith著 
「a Journey」のビデオとほぼ同じ、「Mayo」から「Radio City」までについて詳しく書かれています。(オフィシャルサイトで買ったときには$28)

・Irish Dancing Magazine
98年の6月号〜11月号で、Michael Flatleyの半生を扱った(というか、その偉大さをたたえる)連載がありました。

・The Sunday Times
(96/7/28)
Lord of the Danceの評とMichaelさまの行状についての記事。Flatheadsの方々にはちょっとつらい論調。

・Times of London
(95/5/28)
Michael対Jeanの確執について。



入手方法

Amazon.comほかの海外の通販サイトで買えます

1996年、約76分、35ドル


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